ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

狸になりそう😞

              イサキの炙り刺身

             今回は片身をハマチ大根に


 冬の山を歩いているとよくタヌキの「糞溜り」を見かけることがある。低山会のリーダーは理科系先生だったから、山に落とし物があればこれはタヌキだ、こちらはテンだろうと教えてもらえる。その度に写真に収めるのだがブログの画像紹介には向かない。
 タヌキは決まった場所をトイレ場として利用しているようで、そこでお互いのコミュニケーションを図っているらしい。もともとイヌ科の哺乳類で食肉類だが、排泄物を観察すると柿の種などの植物性も食べているので雑食性動物だと言うことが判断できる。
 昔から何でも食べてみたいロクだったので、友人が交通事故に遭っただろうタヌキを持ち込んできた。体温が下がるにつれて蚤などが退散する段階のものだった。タヌキ汁が頭をかすめた。食用蛙を捌いたことがあれども、獣までは捌けない。剥製にしようと業者を探し依頼したが、夏毛と冬毛などの関係で季節を問うらしい。やむなく処理する場所まで運んだ苦い経験がある。
 さて、そのタヌキだが世界的には生息域が限られているらしい。日本ではおなじみでおとぎ話や妖怪として登場したり、唄に歌われたり、諺や故事として使われたりしてきた。今でも信楽焼と言えば狸の置物が代表格で、商店などの玄関口に縁起物として鎮座させている。商売で「他を抜く」という意味合いで「タ・ヌ・キ」が健在である。豊能町の警察署玄関に置かれていた狸の置物はどんな意味合いからだろう。人を化かすのではないよ!と言う戒めなのかな?
 自粛生活をしていると食べることに興味が湧き、どうしても美食で食べ過ぎになる。次の検診日までに体重もアルコール数値も減らしたいのに、また豚になってしまいそうだ。否、狸のポンポコポンになりそうだ。


「爺だけが 食してみたき 狸汁」

立春・余寒


 暦の上では今日から春と言うことになる。ところが例年のことだが「節分寒波」とか「立春寒波」といって「大寒」を凌ぐほどの寒さがぶり返す。春が立ったのに寒さがまだ去らない様子を「余寒」と言い表す。二十四節気や七十二候では使われていないが、季語として使われる言葉で「残暑」に相対する冬バージョンとして早春に使われてきた。今まで俳句に使ったことがないので使い方がよく分からない。ねんてん先生俳句教室の兼題(宿題)が「余寒」になっている。どうしても季重ねになってしまいそうな「予感」がする。節分の昨日は北北西に進路を取るごとく「恵方巻き」の丸かじりと塩鰯を戴いた。
 大阪発進の食文化が次第に全国に拡がりつつある。そのことは容認出来るのだが、大阪維新が全国制覇を目指しているのを食い止めなければ、とんでもないことになってしまう。戦争へ戦争へとの旗振り役を買って出て、政権の舵取りまでに口出しし、憲法改正の国民投票を早くなどと尻をたたくまでになっている。
 今日は本来なら「トンボのメガネ」例会日でオシドリを訪ねる予定になっていた。大事を取って巣籠りに甘んじことにする。先日紹介した「地衣ミニ図鑑」というべきものを借りてきた。ステイホームと言うことなので少し浮気をしてみよう。


「鰯食い 春は何処まで 来たのやら」

きらきら2月✨

     野間中城探しのルート上で出会った石仏たち


 春を待つ2月の雰囲気は大好きである。厳寒期に幕を閉じ、あとしばらくで春が来るよ!と言ってくれる声まで聞こえそうだ。何よりも陽光や風がキラキラと輝いて見えるところがなんとも言えない。実際に春が来てしまえば空気はかすんで、キラキラ感がなくなり眠たげな季節になってしまう。
 夜中に降った雪は子どもたちの通学道路を凍らせ、木々も霧氷のような雰囲気を漂わせていたが、太陽が昇り出すと一気に解けだし散歩日和になってくれた。「きらきら2月」でも探しに行こうと厚着して出掛けたが、途中で手袋が邪魔になるほどの温かさである。そんな空気感を写真に収められないだろうかと探し回ったが、土手道で何者かに襲われたアライグマの亡骸だけが目についた。ペットとして飼われただろうアライグマは、今や農作物を荒らす害獣として駆除対象になっている。
 トンビが3羽舞っていたのは、そのアライグマを見つけたのかもしれない。多分彼らが残らず処理してくれることだろう。写真に収めたが、せっかくの「きらきら2月」の雰囲気を壊してしまいそうなので控えておきたい。


「きらきらと 2月の空に ぴぃひょろろ」

山城ルート探し🔍

            途中にはかなり年代物の石仏も

                 また雪や!


 妻から「野間中城」について調べて欲しいと依頼されたので、ネット検索してみたがルート図や山城の構造などがよく分からない。史実に基づいての調査がされていないのかもしれない。とりあえず図書室まで出掛けて「能勢町史」で確認したり、司書に関連文書などを探して頂いたりした。判っているのは野間城に相対する小さな丘陵に、野間氏が支城として築いた城と言うことで、古文書によると「完成途上で中止した」と記されている。
 殆ど見捨てられた山城跡が残っているのを、歴女の妻は以前に尋ねたことがあるらしい。麓の道が整備されたので、皆さんを是非案内したいと言うことで下見に付き合った。初めてのコースだとウキウキしてくる。植林地のクヌギを炭用に切り出すための、簡単な林道らしきものが作られたところを登っていけるので、主郭があっただろう頂上までは直ぐに辿り着けそうである。ただ道がついていないので直登を余儀なくしつつ、しつつ、足下に気をつけながらなんとか登り切った。俯瞰すると土塁などの位置関係が手に取るように判り、初登城記念にテープとリボンをつけたおいた。
 同じ道をルート確認しながら下山して、再び別コースから登ってみる。人を案内するにはピストンコースはつまらないからである。頂上でうまくつながったので「野間中城コース」完成である。本来なら登城記念日の酒杯を上げたいところだが、休肝モードに入っているので暫くは我慢しておこう。


「節分を 待てず山城 訪ね道」

目付絵と地衣

           自作の「目付絵」

             地味な姿の「地衣」表と裏


 お上のお達しが後手後手になっているので、自らの判断で巣ごもり生活にいち早く入っている。と言っても公共交通機関を使って他府県まで移動しないと言う程度で、町内歩きは続けている。ところが今回のオミクロン株は第1波~第5波までの陽性者累計84人を遙かに超えて、第6波だけで90人あまりもの陽性者が出て、保育園、幼稚園、小中学校まで忍びよって来た。大阪のてっぺんだから安心と言っておれない状況になっている。
 活動範囲が限定されるのでアクティブ・ロクもストレス蓄積中となる。町内には山こそあるが、オラの街には町民が憩える公園もない。映画館などの娯楽施設もない。図書館もない。ないないづくしである。散歩コースでの春の花探しも限界がある。
 コロナが収まったときのための準備をしておこうと、工作材料集めや、遊びの資料準備などで気を紛らわせている。長らくお蔵入りだった江戸時代の遊び「目付絵」のロクバージョンを印刷して、再活用しようと引っ張り出したりしている今日この頃だ。
 花が見つからないこの季節だからと地味な姿の「地衣」にも目を向けてみた。観察会の時には地衣についても環境指標だよと目を向けてもらうが、あまり深く勉強してこなかった。たまたま小さな図書室で「地衣ミニ図鑑」を見つけたので、これ幸いと借りる予定を立てておき、先ずは実物調査からと一歩踏み出した。世界には2万種、日本でも2千種にはなるだろうと言われている。今から勉強して新種の発見まで辿り着けるだろうか?


「春来るぞ 子らへの土産 目付絵で」