ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

背高泡立草(セイタカアワダチソウ)


 かっては悪者扱いされてきたセイタカアワダチソウが今年は繁茂している。30年ほど前までは花粉症の元凶みたいに思われていた。もともと観賞用として北アメリカから持ち込んだ植物で、ミツバチの蜜源植物でもあるということで積極的にタネが散布され、日本全国に帰化してしまった。搬入した当時から蜜源植物で虫媒花だと判っていたはずなのに、風で花粉が飛び散る風媒花だと勘違いされ、花粉アレルギーを撒き散らす厄介者とのあらぬ濡れ衣を着せられてしまった。今なお悪者扱いが払拭されていない気がする。
 セイタカアワダチソウを春の野草料理の一品に加えだして数年になる。はじめて口にした方は異口同音に「結構いけるやン!」と仰る。西洋では早くからハーブティーとして使われたり、食用・薬草として利用してきた。そんな優れた植物を無駄にしたくない。秋に咲く花も天ぷらにしてみた。茎が堅くなっているので柔らかそうな部分を使いたい。
 健康浴材として使い出したのは一昨年からである。今年も採取しなければと思っている間にどんどん開花しだした。開花しても使えるが、蕾の方がエキスが詰まっているようだ。別にアトピーがあるわけではないのだが、湯船の香りだけでも愉しみたい。


「散歩道 俺がオレがの 泡立草」

後の月(十三夜)


 今年は中秋の名月があいにくの曇り空だったので観ることが出来なかった。せめて「後の月」と言われる十三夜でもと待ち焦がれていた。昨日が旧暦の9月13日になるので、昔から中秋の名月と併せて愛でる習わしがある。中秋の名月の時期は台風シーズンと重なるので天気が安定しない。ところが一月遅らせると、秋の晴天が続き「十三夜に曇り無し」と言われるほどのお月見日和になる。そんな経験則から二度のお月見風習が生まれたのだろう。
 十三夜は収穫を祝う意味合いもあり、栗名月や豆名月とも呼ばれている。道の駅には栗に代わって枝豆が所狭しと並ぶ。丹波の黒豆があまりにも有名なので、能勢でも栽培される農家が増えて来た。ところが土壌が違うのかあの美味しさに到底届かない。先日も本物の黒枝豆を知人から頂いたが、何と美味しかったことか。
 久し振りで地元のスーパーを覗くと、鮮魚売り場に見慣れない魚を見付けた。ヨコスジフエダイと表示されている。もちろん食への好奇心が旺盛なので購入してみた。どんな料理にしようかと悩んだが、煮付け、塩焼き、刺身まで出来るほどのサイズではない。30cm見当だったので、2枚におろし片身の半分だけを試食のつもりで刺身にした。あとは白身魚なので無難な煮付けにして食した。流通に乗らない魚は安価で、思わぬ拾いものをした気にさせてくれる。月の宴としたいのだが、雲が張り出し、しばしの間だけしか出てくれなかった。急激に冷え込んだので月を愛でる気持ちまで萎えてしまった。


「気も萎える 邪魔なむらくも 後の月」

うば玉(ぬばたま)

            顔を覗かせたヒオウギのタネ


 今年は永らくヒオウギの花が夏場を彩ってくれた。薬用として利用される根茎を生薬で「射干(やかん)」と呼びぜんそくなどの薬効に優れているようだ。その根茎がだんだん肥大して5枚の扇を拡げてくれた。おかげで毎日次から次へと花を咲かせ、その内のいくつかが結実してくれた。10月に入りその実が弾けて、中から光沢のある黒いタネが顔を覗かせる。それを古名で「ぬばたま」と呼ぶ。生け花に飾っても味わいあるだろう。「ぬばたま」は夜や夕べ、髪など黒に対する枕詞として万葉集にたびたび登場する。ヒオウギの別名である「烏扇」はこの黒いタネから来ている。
 「春夏冬 二升五合」の看板を居酒屋などでよく目にするが、「春夏冬」はまさに最近の季節の変化を言い表しているようだ。一昨日まで夏日だったのに、昨日は一気に冬に突入してしまい、ニュースでは雪便りまで届いた。以前からだんだん四季がなくなっていく様子に危惧を持っていたが、秋を飛ばし冬が訪れるなんて想像も出来ない。商いますます繁盛なんて洒落言葉を言っておれない。「春夏冬」(秋ない)は気象用語になるのかも。
 車で帰路を急いでいるときに暮れなずむ空が真っ赤に染まっている。まるで火事のような焼けようである。綺麗と言うよりも不吉な予感を抱かせる夕焼けだった。


「ぬばたまの 弾け一気に 冬を呼び」

生涯学習の勧め

             田舎菊が続く先には未来が

               ご高齢の池上先生


 地球環境『自然学』講座が久し振りの対面講座で復活された。リモート講座が続いていたので辟易としていたところである。今年度12回目講座と言うことだが、実質的には2回目の講座になる。講師は京大名誉教授の池上 惇先生。「学習社会の創造」と言うテーマで「寺子屋」から情報革命と言われる今日までの考察を、経済学の視点から掘り下げた話に惹き付けられた。
 今までの講座はパワーポイントを使ったものだったが、氏のスタイルは白板(黒板)を使った講座で、古き時代の学生にタイムスリップした感じで、聞き漏らすまいと耳を傾けた。昨年「学習社会の創造」という著書を京大学術出版会から出された。講座内容を深めるために読んでみたいと思っている。
 多岐にわたる話だったので紹介しきれないが、根底には受験教育で求められた「同質性」からの脱却を計り、体験型学習で個々人の個性を活かす「多様性」が求められる方向性を訴えられた。その試みとして「市民大学院」の設立などに取り組まれ、生涯学習の場を提供されている。シニア層も研究テーマを持ち論文発表が出来る環境整備を、忘れられた農村部で開花させようとの夢を披露された。ロクも生涯学習のテーマとして「蝶の舞う里作り」に取り組もうかな。
 里には田舎菊と呼ばれるヤマシロギクの白花が眩しい。


「年老いて 今なお野菊の 君なりき」

里山植物観察会🔍

          アケボノソウでは5弁以外の花びら探し

               ツリガネニンジン

             珍しいナンバンハコベの実

           観察チェック表


 サークル「トンボのメガネ」観察会は一週間前に下見しておいた茨木市泉原の里山への遠征である。バスで40分ほども奥地に入るところなので、都会では姿を消してしまったお馴染みの里山植物がたくさん残っている。
 阪急茨木市駅とJR茨木駅から分乗した17人はさながら遠足気分のようで、気の緩みもありバス内会話が弾んでいる。気の付いた仲間から指で “しっ~!" の合図が入る。泉原現地に車で来られた方と合流して18人のグループで観察開始。田んぼの稲刈りも終わっているので、余り気を遣わずに観察が出来る。ただ周りの草が刈り取られているので、再び春の草花が咲き出したりしている。あらかじめ下見時に観察した植物名の一覧表を作り、皆さんの手助けになればとチェックしてもらいながら歩いた。用意したチェック表は66種類だったが、36の瞳で観察すると見落としがあったり、1週間の内に姿を消してしまったものもあった。
 何時もの例会では対象テーマを決めて訪問するのだが、今回は里山に生息する植物たちを総なめしてもらおうということで、どちらかと言えば里山ハイキングになったようである。辛うじてアケボノソウやツリフネソウを観てもらえたのが、印象として残るのかなと思ったりしている。五感で観察というスタイルは外していないので、エノキの実などを試食してもらったり、カラスウリの種の謂われを披露したりしたことは言うまでもない。
 男性参加者も数人いたのが心強かったし、反省会に彼等が参加してくれたのが何よりだった。おかげでビールの量が進み、数少ないバスに間に合わず妻の手を煩わすことになった。


「里山に 三十六の瞳 千草追い」