ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

茶の木(チャノキ)

                 茶の花と実

          籠脱けしたシュウメイギクの一輪が目立った


 古い時代から植栽されていたのだろうチャノキが、昔を彷彿させる感じで里山に自生している。かっては人の営みがあったのだろうと想像を膨らませてくれる。
 お茶の代用として山茶花も使われていたようだが、低木性の茶は既に聖武天皇の時代に中国から渡ってきた。当時は薬用として使われていたようである。後鳥羽天皇時代に栄西が製茶法と種子を持ち帰り、日本でも飲用としての茶が普及する土台になったようである。足利時代以降に僧から武士へ、庶民にも茶道としての文化が拡がっていった。しかし江戸時代でも一般の庶民は白湯を飲用していた。お茶が日本人の生活に根付いたのは、大正末期から昭和初期といわれている。古い歴史を持つわりに庶民の口までなかなか届かなかった。
 今でもお茶の薬効は誰もが認めるところで、各種健康茶なども売り出されている。緑茶はビタミンCを豊富に含み、緑茶と紅茶の中間とされるウーロン茶は胃にも優しく、健康茶としても愛飲している方もおられる。紅茶はタンニン質の多いアッサム茶で作られる。因みに日本の緑茶は低木性のシネンシス茶である。
 ロクの朝一番の仕事は茶を入れることである。以前は妻のベットまで運んでやったが、最近は早く起こすような気がして、起きてくるまで待つようにしている。早起きと朝の一杯の緑茶が健康に役立っているようだ。
 最近気になっているのが若者の茶離れである。ペットボトルの普及が拍車をかけているのかもしれない。マイクロプラスチックの海洋汚染からみても、ペットボトルの自販機規制が必要だと思うのだが。


「茶の花の 飛び出す蘂が 薄日浴び」

犬蓼(イヌタデ)

              イヌタデ(赤まんま)

            畑のフジバカマも開花してきた


 別名の「赤まんま」の方が懐かしい思いがするイヌタデが、散歩道で無視しないで!と訴えているようだ。何処にでも群生するほどありふれているので、どうしても花の綺麗なサクラタデを探してしまう。イヌタデは荒れ地や原野に自生するが、サクラタデは田んぼの脇や水辺に自生する。
 先日アップしたイタドリはタデ科の中では大型種で杖にまでなる。重宝するのはヤナギタデだが、鮎が手に入ったからタデ酢を作りたいと思っても、手軽に手に入らない。ヤナギタデが自生している淀川河川敷まで行けないので、地元での採取場所を探しておかなければ。
 さてイヌタデだが、食えないタデと言うとこで犬を冠されている。概ね動物の名前を冠されるものは、人間の都合で役立たずと思われている。烏や雀などを冠して大きさの比較にも使われてことがある。食用にならない植物として犬ごま・犬がらし・犬なずな・犬ひえ・犬わらびなどが知られている。不名誉な犬君のために弁解しておくが、イヌタデはヤナギタデのような辛味こそ無いが、若芽や若葉は茹でて水にさらしてから、和え物、お浸し、油炒めなど食用として利用される。けっして役立たずではない。


「ままごとは 昭和までかな 赤まんま」

奈良の庭園巡り(おまけ付き)

              氷室神社お渡り神事


 サークル「トンボのメガネ」例会は久し振りの活動再開ということで、比較的参加しやすい奈良の庭園巡りとした。年間計画では御所市の「葛城の道」コースを彩るヒガンバナを訪ねるつもりだった。ところが今年はいずこもお彼岸を待たずに咲き出したので、急遽行き先変更になってしまった。もちろんコロナの感染状況も念頭に置いた上での判断である。再開を待ちわびた17人で奈良公園を楽しんできた。
 下見の時にはひっそりしていた「吉城園」では、既に団体さんが入っていると受付で伝えられた。1時間あまり庭園を楽しんでいる間にも、シニアの団体が来られるなど、皆さん穴場を熟知されておられる。我々のサークルは植物観察をかねているので、ところどころでかたまりが出来る。それぞれが先生になりレクチャーを受ける。苔生した緑の辺りでは「色盲」の話が披露され、人類の進化と色を感じる環境の変化、白黒しか判断できないだろう生き物や、可視光線の違いなど興味深い話まで披露される。結論的には「色盲」なんていないという話に落ち着く。
 物議を醸し出した奈良の高級ホテル建設だが、それに目隠しする如く併設された「旧山口氏南都別邸庭園=ゆう伽山園地」にも寄り道してきた。
 おまけは氷室神社の「お渡り」神事に出合えたことである。昨年10月1日に氷室神社の氏子たちによって58年振りに再開された神事である。今年もコロナ禍のさなか、引き続き人数制限をした上で開催された。氷室神社から興福寺南大門跡の御旅所の間を350kgもの御鳳輦(ごほうれん)を10人の担ぎ手で往復するらしい。まだ認知度が低いのかカメラマンの殺到も無く、我々のために練り歩いてくれたような気がする、間の抜けたような太鼓のドンが、辺りにこだまする長閑な神事だった。


「古の 奈良にスリップ 秋祭り」

嫁菜(ヨメナ)

                  秋様々

                 カヤの実拾い

           キウイの原種とも言われるサルナシ


 一般的には野菊の方が通りが良いのかもしれない。「野菊の如き君なりき」に登場するのはヨメナだろうか、それともよく似たノコンギクだろうか。余り馴染みがないが婿菜(ムコナ)というものまである。こちらは山道などで見かけられる白い小菊でシラヤマギクという種類の別名である。多分、嫁菜に対してつけられたものだろう。秋に咲く野生のキク全てを野菊として愛でていたのだろう。野菊が咲き出すと秋に包まれる感じがしてくる。
 散歩途中で栗など落ちているのを見かけるが、能勢に住むようになって久しいので、李下冠を正さずの姿勢を貫いている。そのかわり誰も見向きしないカヤの実などを拾って帰る。これなども秋散歩の楽しみの一つになっている。知人がたくさんのサルナシの実を採取されたのでご相伴にあずかったりしている。赤とんぼも刈り入れが終わった田んぼ飛び回っている。野菊と共に秋を演出してくれる。
 今日から10月に入る。台風余波で残暑をぶり返しているが、コロナ第5波も沈静化し、自粛制限も緩和されることになり、どことなくそわそわし出す。でもそんな浮ついた心の隙に、第6波が虎視眈々と狙っていることを忘れてはならない。今まで同様のコロナ対策で、本当の終息を迎えるまでウイズコロナで望みたい。過去の教訓をもとに政府は事前の対策を打って貰わなければ、個人の頑張りだけでは乗り越えられない。そんなことを国民や野党から指摘される前に、お上は考えつかないものだろうか。


「野菊観て 此処まで来るか 来春は」

赤と黒

         生食では酸っぱいコバノガマズミ(果実酒用)

            鳥を呼ぶ最たる戦略のクサギ

            山で見付けると嬉しいナツハゼ


 「赤と黒」などというタイトルにすると、かって読んだスタンダールの世界かなと勘違いされることだろう。たしか高校生の頃に、これは読んでおかなければと言う義務感に似た読書だった気がする。ストーリーすら覚えていない、ていたらく振りを反省している。どちらかと言えば映画で観た文学作品群は印象に残っているのだが、それ以外は主人公の名前さえ出てこない。そう言えばスコッチウイスキーにも「赤と黒」があったな。
 今回のテーマは小説や酒の世界ではなく、好きな分野の「木の実」の紹介である。木の実は大別して赤実と黒実が多いように思う。たまに紫や紺や茶色まである。鳥の目から見れば赤の方が目立つが、どうやら黒い実の方が好きなようである。植物たちは鳥たちに種を運んで貰うために、おびき寄せる戦略に余念が無いようだ。目立たない実に鳥の目を惹き付けるために、自分で周りを装い「ここに実があるよ!」と知らせている。よく目に付くはずの赤い実にしても、葉の緑との2色効果を利用している。クマミズキなどは果柄を紅く染め、実の在処を知らしめている。クサギの実などは萼の赤さを纏い目立っている。
 鳥たちに先を越されないように、ロクも食べられる実を探しながら散策を楽しんでいる。赤い実は食べられた後なので、黒い実を頂いている。


「秋の実は 鳥と採り合い せめぎあい」