粉文化
定番お好み焼き
始めてチャレンジのピザ風もんじゃ焼き
山城跡探索に
道を塞ぐブッシュ
エナガ(やっと小鳥たちも里に降りて来てくれた)
地域の知り合いが亡くなられたので、予定されていた活動は早退させて貰ったり、キャンセルしたりして通夜と告別式に参列した。山田池観察会の前日に通夜の連絡が入ったので、新年会を予定されていたが形だけ参加して、飲みたいお酒も少し控えて早々と失礼した。翌日の会議も欠席連絡を入れておいた。
昨日は午後から時間が出来たので、妻の要望で荒れ果てた山城跡の下見に付き合った。地域の里山には罠を仕掛けてあるので、ステッキで足下を探りながら歩を進めなければならない。萱や幼木が茂り道を塞いでいる。まさにブッシュを掻き分けての冒険である。以前に訪れたことがあるのでその時のテープが残っている。何とか頂上城跡まで辿り着いたが、皆さんを案内するには荊(いばら)などもあり危険だ。いったん帰宅して剪定ばさみとノコ持参で道作りをしてあげることにした。思わぬ勤労奉仕をして来た。これでまたロクの株が上がることだろう。
さて題名の粉文化の件だが、東西でかなりの開きがある。関西でも特に大阪はお好み焼きとたこ焼き、更にうどんなど粉物が好きな文化圏である。お好み焼きのルーツはイタリアのピッザから来たのかも知れない。イタリアでは娼婦のピザと言うのがあり、色んな食材をトッピングして栄養を補う、という合理性から考えだされた。その流れを大阪商人が受け継いだのではないだろうか。あくまでも僕の推測でしかない。
東京辺りではもんじゃ焼と言うのが、気取らない食事と言う事で若者たちの間で好まれているようだ。食べたことが無かったので、ピザ風もんじゃ焼と言うのにチャレンジしてみた。広島焼きなども大阪のお好み焼きとは違った焼き方である。食文化の違いなども歴史と結びついているので面白い。
「鉄板を 囲み談笑 女正月」