ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

継子の尻拭(ママコノシリヌグイ)

                三角形の葉っぱ

             茎が突き抜ける托葉鞘の形

          下向きの痛いトゲ

                ネナシカズラ


 散歩途中でママコノシリヌグイを見付けた。タデ科のミゾソバに似た花を咲かすが、あの金平糖のような花ではなく幾分地味である。観察会などでは葉の形でミゾソバかママコノシリヌグイかを見分ける。前者は別名でウシノヒタイと言われる葉の形なのに対し、後者は概ね三角形である。さらに観察を進めると、葉っぱの真ん中を突き抜けているような部位を発見する。托葉鞘といわれるものでタデ科植物の特徴の一つになっている。それが葉状に広がっているのがママコノシリヌグイというわけである。
 さらに観察すると茎には痛いほどのトゲが下向きに付き、葉にもトゲが付いている。昔の厠では植物の葉を後始末に使っていたところから、継子いじめのために使ったかもという憶測から付けられた。ありそな、なさそな当時の歴史を彷彿させる命名である。仲間にアキノウナギツカミというものあり、トゲを利用してヌルヌル鰻を掴むというのは、継子よりは微笑ましくもある。こんなおどおどした名前を持つ植物だが、全草が血行促進・かゆみ止め・腫れ物・痔の薬になるとのこと。
 河原ではヒルガオ科のネナシカズラが植物を覆い被していた。これも途中で根を無くしてしまう特異な寄生植物である。漁網の雰囲気がするが、そこに出来る果実が滋養強壮などの薬効があり、薬用酒にも出来るようだ。何でも試してみたいロクだが、触手が動かない。


「雨上がり 誰が名付けた 蓼の花」

草玩具での試行錯誤


 小学校の「元気ひろば」で提供する工作はシュロの葉で作る草玩具と決めてある。でも本で仕入れたものをそのまま子どもたちに伝承するだけでは芸が無い。シュロバッタなどはそのままでも置物として飾れるが、例えばドライフラワー化したエノコログサなどに止まらせると、立派な玄関のインテリアになるし、勉強机のアクセントにもなる。果たしてエノコログサをドライフラワーにするには、どれぐらい乾燥させなければならないのだろうか?経験が無いので判断できない。ご近所に専門家もおられるのだが、わざわざ門を叩くのも気が引ける。明日お手伝いを依頼している方が来られるので、何とかアイデアだけは暖めておきたいと、あり合わせの材料で試行錯誤をしている。
 直ぐに自己満足してしまうナルちゃんのロクが思いついたのは、シュロの葉にカタツムリを止まらせるアイデアである。加工が簡単なセンダン枝を切り揃えてドリルで穴を開けて
おく。そこにシュロの葉を差し込む。シュロ熱帯魚を差し込んでも涼しげな雰囲気である。色々と試行錯誤している時間は楽しいのだが、おかげで散歩に出る時間が無くなり、ビール腹をなでさすりながら今日こそはと思う。しかし不安定な空模様がロクを閉じ込める。


「草いきれ 織られいじられ 部屋に満つ」

夏の鍋

            規格外のナスも届く嬉しい日常


 暦の上では秋もかなり進み七十二候での「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」の季節。日の短さも実感できる様になってきたが、実態としては猛暑日が続き夏本番である。
 鮮魚を売りにしているスーパーに食材調達に行くが、まだロクと目を合わせる旬の魚に巡り会えない。捌き立てという鱧(はも)が目に止まった。ハモは自分で捌けない。骨切りが命である。天神祭の頃の浪速のごちそうである。湯通しして梅肉などで味付けするが、なんと言ってもハモ鍋が旨い。夕餉の献立は決まりだ。ブリの柵もみつけたので刺身と、余ればブリしゃぶ用に使えば良い。能勢の地酒「秋鹿」の「ひや」も冷蔵庫でいつ飲み切ってくれるのかと待っている。
 ハモ鍋の本場は淡路島である。大阪の泉州から淡路島にかけてタマネギの産地になっている。鴨にはネギが欠かせないが、鱧にはタマネギが欠かせない。淡路島の沼島で鱧料理を食べたいという妻を、満足させるほどの鍋ではなかったが、冷酒の進み具合から判断するに、もう淡路島に行きたいとは言わないだろうと確信できた。
 油蝉が来てくれて少し遅い真夏を演出してくれた。


「出遅れの 鱧に出番と 鍋にして」

棗(ナツメ)

               ナツメの実と葉っぱ

                キツネノマゴ

             オオニシキソウの杯状花序


 曇り空だったので買い物という目的を付加して散歩に出ることにした。照り返しこそないものの蒸し暑い。小雨も降ってきたので晴雨兼用の傘持参になる。室内なら短パンと下着で過ごせるが、たとえ散歩といえどもパンツを替え上着も必要だ。この面倒くささが一歩を踏み出すのを躊躇させる。これが老化の始まりなのかも知れない。
 農家の庭先でたわわに実を付けているナツメが目に入った。シュロの葉を断りなしに頂けることになっているお宅である。まだ青々とした実だが大粒のものを拝借して囓ってみた。少年期に淡路島の親戚の家で食べたのを思い出す。青リンゴの味がした記憶が残っているが、当時は農家にとっては大切な果物だったのだろう。薬用として使われていたのかも知れない。ナツメはクロウメモドキ科で、昔から日本全国で食用・薬用として栽培されてきた。漢方でも強壮・利尿・鎮静役として使われ、韓国料理として有名なサンゲタンにも欠かせない薬膳食材でもある。
 名前の由来は、実の形が茶道具の「なつめ」に似ているからという説と、夏に新芽をだすところから「夏芽」という説がある。童謡「あのこはだあれ」にも登場し ♪あのこはだあれ だれでしょね なんなんナツメの花の下~♪ 誰もが口ずさんだことだろう。
 小さな秋の草花も咲き出してきた。キツネノマゴが可愛い。唇弁花に見えるからシソ科と思いきや、ちゃんとキツネノマゴ科と独立した独自の世界を持つ。外来種のオオニシキソウの杯状花序も特異な形が興味を惹く。


「ピチピチで 大きさ競う 青棗」

先祖の遣い(墓参雑感)

           19輪目開花したサギソウも先祖の遣い?


 彼岸の中日や盆になると、何時も妻から墓参りを急かされる。それで渋っていると親不孝だとそしられる。墓参りに行かないのはそんなに親不孝なことなのかな?とアヒルのように
口を尖らさせながら着き従うのは毎度のことである。お盆連休のさなかに車の渋滞に巻き込まれるのが何よりの苦痛である。今年はお盆休みの帰省ピークが山の日だったので幾分国道9号線も空いていた。やれやれである。
 金子みすゞの世界に近づいてみたいと、たくさんの執筆者の考察などに目を向けると、彼女の生い立ちなどから「み仏」との関わりも見えてくる。あまたの作品にも宗教的色彩が強く、生命に対する「いたわり」が作品の根幹をなしているように見受けられる。まったくロクと対極にあるような金子みすゞだから新鮮なのかもしれない。
 さて、タイトルの「先祖の遣い」だが、トンボがお盆には先祖になって還ってくると言い伝えられている。お盆には先祖の霊を送り迎えするというスピリチュアル的な話である。特にハグロトンボは神様トンボとも言われている。毎年ビオトープ風花壇には彼らがたむろしているのだが、今年はそれに代わってジャコウアゲハが体の周りにまとまり着くほど訪問してくれる。墓からかえって花壇を覗くと、2頭のメスが卵を産み付けるために羽を休めていた。トンボの代わりに蝶が先祖の遣いをしてくれた。思い出す先祖はお互いの母親のことばかりである。


「盆の蝶 先祖の遣いと 羽休め」