ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

関西合唱団


 知り合いの関西合唱団員から紹介され、懐かしさもあり参加してきた。創立70周年記念コンサートで第83回定期演奏会を兼ねている。昔うたごえ運動が盛んだった頃に団員から歌唱指導を受けたのを思い出す。団卒業生が大阪でのうたごえ運動の中心になり、うたごえは平和の力と頑張って来られた。今なお全国でうたごえ祭典が毎年開催されているが、そのいしずえ的存在の合唱団である。
 コンサート会場は大阪城公園近くのいずみホールで、2階テラス席から見降ろす形での鑑賞になった。何時もの山スタイルで参加したが、盛装すれば良かったのかと思う雰囲気の観客席である。コンサートは美空ひばりが謳った反戦歌「一本の鉛筆」で幕開けされた。団で永らく指導された守屋博之氏も何曲か指揮を取られる。作曲家新実徳英氏も二つのこわい歌と銘打って、「赤い紙の思い出」と「やさしさ」の指揮を取られた。能勢の混声合唱団が昨年末に10周年記念コンサートで、新実徳英の合唱組曲「なぎさ道」から南海譜・なぎさ道・いでそよ人・卒業を歌ったので、直に彼の指揮と平和への思いを聴けたのは最高だった。
 他に僕がかかわった芦別事件の支援のために作られた(詞)林 学と(曲)林 光による「芦別の雪の中を」などの演奏もあり、暫し青春時代に戻してくれたコンサート余韻を胸に帰路に着いた。


  二つのこわい歌  詩 石垣りん 曲 新実徳英


  赤い紙の思い出           やさしさ


  私たちは恐れました         大きな国が
  一枚の赤紙が            ちいさな国へ出かけて行って
  家にくばられることを        ちいさな国の。
  
  恐れはやがて現実となって      ちいさな国の
  たくさんの家族をおとずれ      とり残された戦争孤児を
  赤い紙は連れ去りました       大きな国へ連れてきました。
  男を
                    大きな国の
  女は歌をうたって          大統領が出迎えて
  勇ましく送り            ちいさなこどもを抱きかかえる。
  多くの男は      
  ふたたび帰りませんでした      大統領のやさしい笑顔。
                    愛の規格は笑うこと
  赤い紙のこなくなった玄関で     鬼も泣こうというときに。
  子供たちが遊んでおります 
                    大きな国の腕の中で
  年とった女たちは          どうしてこどもは軽いのだろう。
  ふと、不安にかられます       どうしていのちはちいさいのだろう。
  ほんとうに
  もうあの紙は来ないのだろうか?


  もしかして
  今日舞い込んだ白い紙が
  あの赤い紙の親戚ではないのかと


「この時季は 秋刀魚と歌と あれば本」

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