ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

花梨(カリン)

                カリンの木肌

       「糠に釘」ではなく「糠に栗」

              シラヤマギク(婿菜)


 今年の春に見慣れないトゲがある樹に、サクラに似た花をつけていたのを発見して、小躍りしたことを思い出す。地元では「鳥屋」として活動され、野鳥観察会などもされておられる方にも確認して頂き、後日「カリンでしょう!」と教えて頂いた。まだ登ったことも無い山城があったらしい山麓で、植林こそされているが屋敷跡も残っていない。そんな林道脇にカリンがあると言うことは、多分戦国時代には屋敷らしきものがあった推察出来る。
 花が咲いていたので実も出来るはずだと確認に行ってきた。手入れされていない場所ということもあり、数こそ少ないがまさしくカリンだと確認できた。高木なので採取できないが、落果したら香りを愉しむために拾いに行かなければ。
 以前カリンを頂いて、食べる工夫をしたものだが、どうにもならなかった記憶が残っている。今回も利用するなら花梨酒にしてみたい。不老長寿や滋養強壮に効くというなら、作りがいもあるのだが、咳・痰に効く薬用酒と言うから興ざめである。
 朝な夕なに牡鹿の鳴き声が聞こえてくる。もの悲しくもあり、秋の深まりを感じさせてくれる。そんな鹿や猪を捕獲するための檻も設置され、糠や栗などでおびき寄せる作戦だが、彼等も人の臭いを知っているのではたして掛かってくれるかどうか?そう言えば最近鹿肉が届かなくなったなぁ~。


「歪でも 堅固信条 花梨の実」

保健師を増やせ!

                オオイヌタデ


 テレビはコロナを忘れてしまったの?と思うぐらい「金」取り合戦の報道に明け暮れていた。その夏が終わり、次は4人の椅子取りゲーム一色の報道になり、国民の声どころか野党の様子まで伝わらなくなってきた。今なお組閣がどうの、どの派閥から何人選ばれたか、とまるで自民党の広報担当者なみの報道姿勢を各社が競い合っている。辛うじて国民目線で伝えてくれるのはTBS系「報道特集」ぐらいだろうか。それだけが「硬派」と呼ばれて脈々と受継がれている。田丸さんの時代から観ているのでかれこれ30年ぐらいになるのだろうか。
 先日購入した「仕方ないからあきらめないへ」をやっと読めるようになった。というのも図書室で借りた「あきない正傳 金と銀」(高田 郁)10冊を読み終えたからである。コロナ禍で病院が疲弊し、医療崩壊が起きて大変だというのは、今回の第5波で嫌と言うほど見せつけられてきた。医療現場である病院の惨状はニュースでも取り上げられたが、橋渡し役の保健所が過酷な状態になっていることまでは、余り報道され無かった。
 大阪府関係職員労働組合が、大変な状況に置かれている保健師の声を集め、オンライン署名に取り組んで、大阪府知事と田村厚労大臣に提出して、保健師、保健所職員、府職員全体の増員を要求した。要求全てが受け入れられたわけではないが、とりあえず保健所に一人ずつの増員が認められた。
 今まで知らなかった保健所仕事の範疇まで判り、維新によって府民の命を守る施策が削られて行った結果が、今回の医療崩壊につながった仕組みまで把握できた。


「秋空に 拳あげたく なる日々を」

渡りの季節

             帰り支度中のツバメの集団

             アオダイショウの脱け殻

           花壇でもフジバカマが開花しているが


 タイトルは秋の季語にもなっている「帰燕(きえん)」を使おうかと思っていたが、春にも燕が帰って来たという意味で使われることを知り、日本の農耕生活と共にあったツバメへの心情をおもんばって、渡りの季節としてみた。季節の移ろいを言い表すのに「七十二候」という暦が使われていたが、春には「燕きたる」で春の到来を歓び、中秋には「燕さる」でもの悲しさを言い表しているように思える。
 ツバメは夏に日本で過ごす「夏鳥」として知られている。春になるとフィリピン、ベトナム、マレーシア、インドネシアなど温かい南の国から日本に渡ってくる。人家などの軒先に泥とワラや枯れ草で巣作りし、子育てした後、秋に南の国に引き返す。寿命は7年ぐらいと言われているので、6回ぐらいは日本と行き来しているのだろう。森昌子さんが歌った「越冬ツバメ」というのもいるらしい。
 最後まで残ったのかなと思われるツバメの集団が、帰り支度をはじめているのか電線に群れている。多分若ツバメの集団だろう。まさに新大阪駅で九州方面行の列車を待っているような雰囲気に見える。来年も無事に帰っておいでと見送ってやりたい。
 立ち寄りを心待ちしているアサギマダラも2000kmもの旅をするが、ツバメも2000~5000kmもの旅をする。日に日に秋が深まっていく。「こう雁きたる」と言う時期になってきたので入れ替わっても冬鳥が飛来してくる。


「電線に 今朝はまだ居た 去る燕」

芒(ススキ)と力芝(チカラシバ)

               彩りに真っ赤だな!


 秋の七草を代表するススキが陽を受けて銀色に輝くようになってきた。イネ科の花は目立たないが穂で楽しむことが出来る。中秋の名月に欠かせない脇役である。今年はあいにくの曇り空だったので月見も出来なかったが、後の月と言われる今月の十三夜に望みを繋げたい。ススキを外して日本の風情は得られない。
 ススキは尾花と呼ばれ万葉の昔から親しまれてきた。ススキと言えば森繁久弥の枯れススキが頭をよぎるが、どうしてどうして「くと立つ」からススキに転訛したと言われている。根茎に薬効があることまでは知らなかった。イネ科植物には高血圧などを下げたり、利尿・解毒する物質が含まれているらしい。
 能勢にはまだ茅葺き民家が残っているが、屋根葺きにはススキが使われていた。最近は屋根葺きできる職人がいなくなったので、殆どが屋根に帽子を被せて屋敷を保っている。今や屋根葺きなどは匠の仕事になっている。
 ススキに負けじと繁茂しているのが、見るからに強靱な雰囲気を持つチカラシバである。力持ちが引き抜こうと思っても抜けないので力芝になった。別名で「道芝(みちしば)」とも呼ばれている。指でしごいてやると「いがぐり」のようになる。これも子どもたちへの自然観察の誘いに使える。


「尾花咲く 土手道しばし マイウエイ」

茶の木(チャノキ)

                 茶の花と実

          籠脱けしたシュウメイギクの一輪が目立った


 古い時代から植栽されていたのだろうチャノキが、昔を彷彿させる感じで里山に自生している。かっては人の営みがあったのだろうと想像を膨らませてくれる。
 お茶の代用として山茶花も使われていたようだが、低木性の茶は既に聖武天皇の時代に中国から渡ってきた。当時は薬用として使われていたようである。後鳥羽天皇時代に栄西が製茶法と種子を持ち帰り、日本でも飲用としての茶が普及する土台になったようである。足利時代以降に僧から武士へ、庶民にも茶道としての文化が拡がっていった。しかし江戸時代でも一般の庶民は白湯を飲用していた。お茶が日本人の生活に根付いたのは、大正末期から昭和初期といわれている。古い歴史を持つわりに庶民の口までなかなか届かなかった。
 今でもお茶の薬効は誰もが認めるところで、各種健康茶なども売り出されている。緑茶はビタミンCを豊富に含み、緑茶と紅茶の中間とされるウーロン茶は胃にも優しく、健康茶としても愛飲している方もおられる。紅茶はタンニン質の多いアッサム茶で作られる。因みに日本の緑茶は低木性のシネンシス茶である。
 ロクの朝一番の仕事は茶を入れることである。以前は妻のベットまで運んでやったが、最近は早く起こすような気がして、起きてくるまで待つようにしている。早起きと朝の一杯の緑茶が健康に役立っているようだ。
 最近気になっているのが若者の茶離れである。ペットボトルの普及が拍車をかけているのかもしれない。マイクロプラスチックの海洋汚染からみても、ペットボトルの自販機規制が必要だと思うのだが。


「茶の花の 飛び出す蘂が 薄日浴び」