ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

見守り隊スタート

             持ち帰り補修した旗20本

         信号の両側に10本ずつ

            ナスの蒲焼きと茄子ステーキ


 一ヶ月あまりの夏休みを終えて、今日から学校へ向かう子どもたちの見守り活動もスタートする。どれほど背丈が伸びているのか、日に焼けているのだろうか、通学を待ち望んでいきいきと歩いて来てくれるか、など元気印を願っている。
 国道まで送り、信号で車が止まってくれるのを確認して、児童を渡らせるまでの見守りをしているのだが、我々の担当地域外の子どもも信号を利用するので、旗を持って渡るように願っている。その旗を確認するとポールから抜けていたり、固定用の部品が外れていたりするので持ち帰り、抜け落ちないないようにボンドで補修した。準備万態で朝立ちに望むことにする。怠け癖を払拭するスタート日としたい。
 道の駅には夏野菜が各種並ぶが「旬」を食べたいのと、地元野菜にこだわりたいとの思いなので、同じものを購入する羽目になる。各種茄子が出回っているのでレシピで変化を付ける。焼き茄子以外に、otan流蒲焼きもマスター出来たので献立に組み込む。昨日は茄子のステーキを作ってみた。でも並べてみると味付けを変えているだけである。基本的にはフライパンで焼くまでは同じ行程である。蒲焼きのタレで味付けするか、黒胡椒と岩塩を振りかけてステーキにするかの違いだけである。でも僕が作る料理なら何でも美味しいと喜んでくれる。もちろん台所に立ちたくない妻の作戦であることは言うまでもない。


「法師蝉 啼いて休みの 幕を閉じ」

収穫前の草刈り


 窓から見下ろす田んぼの持ち主には何時も感心している。先代の頃から大切にされてきた田んぼで、二親の姿を踏襲するような接し方をされている。田んぼが愛おしくってたまらないという風に見受けられる。あまりにも綺麗な田んぼだから、収穫できる米は特別な味がするのだろうと想像している。その農夫を “草刈りおじさん” と命名して尊敬の念で眺めている。
 朝から扇風機のお世話になるほどの蒸し暑い夜明けだ。東の空はそれほど焼けていないが、西の空は夕焼けを彷彿させるほど赤く染まっている。この状態を朝焼けと呼んで良いのかどうか迷っている。基本的には太陽の昇る東の空が焼けるのを朝焼けと呼ぶ。朝焼けになれば雨が降ると言われているので、ひと雨欲しいという願望から朝焼けにこだわっている。
 東雲(しののめ)とか曙(あけぼの)という表現が日本の朝を言い表わすのに適していると思うのだが、これだけ地球が沸騰すると言葉まで溶かしてしまいそうだ。辛うじて田んぼがある原風景の近場に住んでいるから、日本むかし話的雰囲気の余地が残っている。


「稲穂すら 感謝の気持ち 頭垂れ」

零余子(むかご)

         手作り巣箱を覆い尽くす「ヤマノイモ門被り」

            散水ホースの取り付け部を取り替え


 一般的に「むかご」と呼べばヤマノイモについている付属体を思い出す。ところがオニユリなどにつくのも「むかご」と呼んでいる。あまり馴染みはないがノビルやニンニクなどにも「むかご」が出来るらしい。わき芽が養分を貯えて肥大化したものをさし、植物の栄養繁殖器官の役割を果たしている。同じ「むかご」でも、茎が肥大化したものは芋状の「肉芽」になり、葉が肉質化したものは球根状の「鱗芽」になる。食材として昔から利用されてきたのはヤマノイモやナガイモの「むかご」で茎が肥大化したものである。方やオニユリは葉の肥大化した「むかご」と言うことになる。
 門被りの松にはそぐわない家の作りなので、ワイルド派の我が家では門被りのヤマノイモで代用している。ヤマノイモを掘り出すのは至難の業なので、むかごだけを頂くようにしている。ところが今年の異常気象で出来が悪く、あまり収穫できないかも知れない。少し涼しくなればむかごも大きくなってくれるだろう。
 プランターに移し替えた「葉から芽」もおおきくなって来た。能勢では冬越し出来ないので、葉を摘んで水に放ち、子どもや孫を育てて来年用に準備したい。何代続いていることだろうか。


「むかご飯 食えるほどまで 成ってくれ」

狸豆(タヌキマメ)

             啓翁桜が新芽を出してきた

             生キクラゲのマヨネーズ和え


 かって高槻市鵜殿で活動していた仲間から頂いたタヌキマメだが、一年生草本だから毎年姿を消してしまう。たまたま珍しい植物と言うことで、頂いた株を赤とんぼさんにお裾分けした。彼女は種になる豆鞘を採取され、毎年丁寧に小さな豆鞘から種を取り出し、季節になれば種蒔きされる。出て来た苗を毎年頂くパターンで、辛うじてタヌキマメの開花を楽しんでいる。
 タヌキマメは午後から開花して夕方には萼で覆われてしまう。毛に覆われた実がタヌキに似ているのか、花がタヌキの顔に見えるからか?がタヌキマメの名前の由来である。本州以西に自生する特産種だと思っていたが、朝鮮半島からインドまで分布しているようだ。日本では地域的に準絶滅危惧種にもなっているようだ。
 残暑と言うには余りにも暑すぎるので、不要不急の外出はしないように!との注意喚起を聞くまでもなく出歩きたくない。敷地内の観察だけに甘んじている。水不足と暑さで葉を枯らした啓翁桜が、大変だとばかりに新芽を出して来た。来年は小さなオアシス作りにも気を配ってやらなければならないだろう。
 そろそろ来年の干支作りの構想を練らなければならない時期だ。材料手配をしなければならない。辰(龍)なんて難しいなぁ~。干支にタヌキはなかったのかな。


「狸豆 白昼夢なの この暑さ」

盆踊り


 コロナ禍ではお休みしていた盆踊りが、今年はやっと開催に漕ぎ着けられた。しかし3年間ですっかり様変わりしてしまい参加者が少なくなっている。暑さも影響しているのだろうと判断しているのだが、浴衣姿のお年寄りの姿が見当たらない。子どもたちも踊りの輪に加わってこそ盛り上がるのだが~。早く来い来い子どもたち!せっかく再開された盆踊りだから盛り上げたいと、熱中症にならぬ程度で踊りの輪作りに貢献してきた。馴染みのない曲が流れると一気に萎んでしまう。
 盆踊りのルーツは仏教の念仏踊りらしいが、今はそんな宗教臭や帰ってきた先祖を送り出す、という切なさは感じられない夏祭りのメインイベントになっている。でも日本の伝統文化に根ざしていると言うことでは、末永く残したい地域イベントである。我が地域では「とんど」も行われているし、数年前までは「猪子」も伝承されてきた。それらの伝承者が少なくなって行くのが寂しいかぎりである。
 花壇ではヒオウギが毎日咲いてくれるが、サギソウが少なくなってきた。今年はあと数輪咲けば終わりだろう。今で26輪咲いたことになる。


「踊る輪に 子ども見付けて 後を追い」