ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

二十四の瞳

             年老いた大石(小石)先生


 大阪がリバウンド4波更新中の最中、別に逃げ出した訳でも無いのだが、しばらく旅も出来なくなるだろうとの思いから、意を決して年頭から計画していた小豆島に行ってきた。小豆島と言えば紅葉で有名な寒霞渓がシーズンにはごった返すが、春のこの時期は観光客も少なく、謂わばコロナ避難の穴場と言うべきところであった。
 有名ホテルも難なく手配でき、島内観光は観光バスを利用した。オリーブ園など5箇所巡ってくれたが、やはり「二十四の瞳」の舞台になった岬に作られた映画村が、我々にとっては今回のハイライトである。京都の太秦映画村をコンパクトにしたような作りになっているが、テーマパーク化しているので、充分に愉しめる。初代大石先生役の高峰秀子の映画も終日上映されているのが嬉しい。壺井栄記念館もあり、プロレタリア文学の歴史も辿れて、懐かしい想いで鑑賞することが出来た。映画やテレビドラマとして何度も観てきた作品だが、原作を読んでいなかった気がするので、遅ればせながら文庫本を購入したのは言うまでもない。桜満開の車窓風景もそこそこに、「二十四の瞳」に没頭しながらの帰宅になった。


「桜咲き 散らした過去を 悔悟して」

啓翁桜(ケイオウザクラ)

             今朝の様子と開花直後の啓翁桜


 “桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿”と言うのは庭木の剪定で使われた言葉で、概ねその特徴は知れ渡っているようである。桜は切るとそこから木材腐朽菌が入り込み次第に枯らして行く。一方梅は同じサクラ属なのに放置しておくと枝が蔓延り、あまり花を咲かせなくなるので、花を咲かせる新しい枝を出やすくするために、剪定してやることを促す言葉である。
 平群桃源郷を訪問したときに少し触れたが、2年前に頂いた啓翁桜の枝を植木鉢に差しておいたのがやっと花を咲かせてくれた。この桜は切り花用として人気があり、今のコロナ禍でのお家花見にもってこいである。昨夜のサザエさんでも生け花としてお舟さんが愛でておられたのは、たぶんこの啓翁桜だったのだろうと勝手に推測している。
 啓翁桜のルーツは、1930年に久留米市の良永啓太郎さんが中国のミザクラを台木にして、ヒガンザクラを改良したのが始まりだとされている。啓太郎さんの一字を採って啓翁桜と名付けられたらしい。勢いよく枝を伸ばし、分枝したところからも根を出すので挿し木にしても育ってくれる。枝を切り込んでも、朽ちるよりも成長が勝るので、生け花用として重宝がられている。昔はかなり高値だったが、最近はたくさん出荷されるので値崩れしてしまったと平群の知人がこぼしておられた。
 正月から計画していたミニ旅行に出掛けるので、ブログは2~3日のお休みになる。皆さんのブログも楽しみだが、帰宅してから拝見することになるだろう。
 大阪の維新はパフォーマンスだけで、コロナ対策そっちのけで住民から2度にわたって否決された都構想に代わる代替案を、コウモリ政党を巻き込んで数の力でごり押ししてしまった。大阪市の金と権力を奪い取るとんでもない輩たちである。そのお陰でリバウンド4波一番乗りという不名誉な結果に結びついた。3度目の宣言も時間の問題だろう。そうなればミニ旅行にも出掛けられなくなる。


「我が家にも 咲いたと自慢の 桜かな」

石楠花(シャクナゲ)修了式

             今回もリモート講座と修了式


 地球環境「自然学」講座は20回のカリキュラムが消化できずに、年度末を迎えてしまったので、やむなく昨日が2020年度の修了式となり、12回目の最終講座日となった。講師は東日本大震災被災地、南三陸で「森里海ひと いのちめぐるまち」作りに取り組んでおられるサスティナビティセンターの代表理事 太齊 彰浩さん。震災後、牡蠣養殖で日本一のカキを育てた「三分の一革命」の取組などは、上記センターのホームページをご覧頂くと、復興に向けて取り組んでおられる方々に寄り添える気がする。
 因みに我が家も知人からの紹介で南三陸のワカメを購入して、食卓から支援している気になっている。彼等の目指しておられるのは持続可能な漁業を守るため、漁業者・養殖業者や安心安全の原料などを提供する事業者、それに賛同する市民を巻き込んで認証取得と普及である。ASC・MSCなど厳しい審査を経た認証取得商品の購入が、資源の枯渇や地球環境に貢献する持続可能な道だという発信でもある。
 堅苦しい話になったので、温室育ちのシャクナゲの花をどうぞ。ツツジ科の仲間は有毒種が多いのだが、シャクナゲもご多分に漏れず有毒植物である。ホンシャクナゲやアズマシャクナゲ、ツクシシャクナゲなどがよく知られているが、高山に自生するハクサンシャクナゲなどに出会うと、それだけで満足できてしまう。岩場に自生するヒカゲツツジ共々捨てがたい。今日も雨の朝になったが、心は山に向かっている。


「春休み あと一年は 頑張るか」

高野街道へ


 サークルで5月初旬に大阪府立「花の文化園」に行く予定を組んでいるが、植物園だけが目的ではつまらないので、山城跡巡りも織り込んだ高野街道歩きの下見をしてきた。当初は昨年訪問予定だったがコロナ騒ぎで中止にしてしまったので、再度の例会訪問地として設定した。そのコースはサークル仲間の紹介で、下見案内までしてくれたところである。しっかり歩かされたいう印象しか残っていなかった。
 サークル訪問地として南海沿線を利用する例会先は数えるほどしかない。沿線の歴史にも疎いので、皆さんには高野街道の雰囲気だけを味わって頂く。かっては宿場町として賑わったことだろう。高札場があったり、山車蔵などもあり、よき時代が流れて来たのを感じさせてくれる。三日市町あげて歴史街道の整備を進めておられるようだ。住民の方も親切に対応して下さる。楠木正成ゆかりの国指定史跡「烏帽子形城跡」は天守を持たなかった中世の山城として、神社と共に現在までしっかり原型が保存されている。横堀・土塁・曲輪・土橋・堀切・建物跡の礎石も復元され、山城マニアが資料片手に歩かれているのに出会す。
 花の文化園到着はお昼になってしまった。帰りのバス時間まで2時間しかない。入場料550円がもったいない気もしたが、園内のコース確認だけして帰路についた。


「高野道 山城辺りも 芽吹き出し」

春の妖精もどき🌹


 天気予報では折りたたみ傘があった方が良いと言うぐらいの雨予報だった。救援会ニュースの編集という宿題を抱えていたので、雨ならばと諦めて朝からその作業に取りかかった。編集用ソフトを持っていないので、ワードでの手作り編集になる。上から順番に埋めていくという腹切り編集だけはしたくないので、そこで何時も苦労をしている。A4サイズの4頁立てで組み、A3用紙の両面印刷というスタイルだ。1面と4面をカラー印刷にし、2~3面は見開きにして支部活動を紹介する欄として編集している。寄せられた原稿は損ねたくないので、基本的にはいじらないようにしている。見出しなどでバランスを取り、紙面が足りなくなれば編集者であるロクの原稿を没にすれば事足りる。
 午後から雨も上がってきたので、アクティブロクはそわそわし出す。何とか編集も終わり印刷に回す手はずも出来たので、近くの林までショウジョウバカマを探しに出掛けた。早春の花ということなので春の妖精に加えたいところだが、多年生常緑草本だから眠りにつくことはない。涙をのんで春の妖精もどきとしておきたい。お能に出てくる酔っ払いの猩猩と言うのが、ロクの仲間に近い気がして毎年登場させている早春の花である。
 新鮮な黒鯛が手に入ったので久し振り板長になり、余すところなく料理して完食してしまった。猩猩袴に負けないぐらい飲んでしまった。


「猩猩よ 花見酒かえ 赤ら顔」