6san-activelifeのブログ

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

勘違い

               露天神社(お初天神)

              「露天・神社」ではない

               幟で確認「露・天神社」


 大阪人なら誰でも知っている「お初天神」に寄り道してきた。若い頃なら夜に訪れたい居酒屋の並ぶ処だ。近松門左衛門の「曽根崎心中」で一躍有名になり、お初天神と呼ばれるようになり、今でも若いカップルのデートスポットにもなっている。1703年に境内で実際に心中事件があり、それをもとに近松が戯曲を書いた。心中した遊女お初と手代徳兵衛の像も立てられいる。
 通称お初天神で親しまれているが、神社の正式名称は「露天神社」と云う。僕は「露天・神社」と読み、大阪は商売の街だから、寅さんのような業界の人たちがお参りするのかなと勘違いしていた。本当は「露(つゆの)天神社」だった。寅さん風の方の姿は見えなかった。


「境内の 梅木に若さ 甦り」

えっ!?

               クサボケの花と実


 都会ではひと足早くボケの花が咲き出している。昨年秋に出来た実が“梅干し婆さん状”で木にしがみついているのが何とも面白い。実の形から多分クサボケだと判断出来る。何枚も写真を撮っているとガードマンがやって来て「ここで写真を撮らないで下さい!」と注意を受けた。此処と云うのは大阪地方(高等)裁判所の敷地である。何故だめなのかは彼らにその理由は判らない。ただ当局からのお達しという事で申し訳なさそうにしておられた。昨日はパナソニックから血も涙もない配転を命じられた、介護の親御さんを抱える方の控訴審第1回目の裁判傍聴に行った帰りの出来事である。
 日本の裁判所は権力と資本に弱腰である。幾つもの裁判傍聴を経験しているが、ことごとく権力や資本に寄り添った判断をしている。沖縄の辺野古問題も政府側に立った判決を出したのは記憶に新しい。マスコミで大きく取り上げられて、国民が注視している場合は、偶にまともな判断を下す裁判官もいる。民衆に寄り添っていない裁判所の体質が、図らずも露呈した写真撮影の一幕だった。トランプに待ったをかけたアメリカの民主主義(三権分立)は今のところ健在だ。


「木瓜を呆け 置き換え見ゆる 黒法衣」 

蕗の薹


 コーラス練習の帰りに、そろそろフキノトウが顔を出す頃だろうと、練習曲を鼻歌として唄いながら歩いていると、目指す場所で恥ずかしげに彼(彼女)が顔を出していた。これこそが“春の使者”だと思わせてくれる。先週のコーラスではバスパートの僕は独りでパート練習をさせれて恥ずかしい思いだった。こんな状態が続くならと退団も、と云う考えが頭を過ぎった。昨日は誘っていた知り合いが参加してくれ、他の2人も出席してくれたので4人になり、久し振りに楽しく声を出せた。その帰り道のことである。
 本来なら採って帰るところだがお寺の敷地なので、声をかけて頂かなければならない。これからあちらこちらで出て来るので、昨日は写真だけを撮って帰った。島根からの便りでは、雪の中から蕗の薹が出て来たのをかなり前に紹介されていたので、羨ましく拝見していた。もう少ししたらフキノトウが我が家の食卓にあがる。味噌汁・蕗味噌・天ぷら・煮もの、全て春のほろ苦い味である。


「歳時記の 頁を若く 蕗の薹」