ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

春の訪れは苦味から


 地域で懇意にしている方から、いつもさりげなく「旬」が届けられる。出始めたばかりのフキノトウが届けられた時は、ドングリぐらいの一口サイズだったので、早速天ぷらにして早春の苦味を味わった。2度目は雨の降る一昨日に採取された瑞々しいもので、蕗味噌に加工出来るほどもあった。白味噌仕立てで作るのがロク流だから、早速地元スーパーに味噌調達に出向く。500gでは足りないので合わせ味噌も予備用として調達。
 日常の料理はほとんど妻が作ってくれるが、魚と肉料理は僕の担当になっている。特にこだわりのある山菜料理には口出ししない。蕗味噌も毎回同じ作り方ではなく、少量の油を加えたり、ベースにしている白味噌をブレンドしたり、加熱方法も替えて作っている。今回は大分県の分銅合わせ味噌を見付けたので、量的不足分を合わせ味噌でブレンドしてみた。大分は何度も訪れた温泉地で、自宅に温泉がでる知人の家を根城に、色んなところに出掛けた思い出が蘇り、分銅味噌本舗も案内してもらったことがある。旅の思い出を隠し味に使った蕗味噌に仕上った。苦味をタップリ残すためにフキノトウ含有量を多くしたので、仲間の皆さんに味見して頂けるほども作れなかった。
 サークル仲間からローカルな漫画仕立ての本を預かった。先日サークルのオシドリ観察で訪問した千里地域が舞台で「僕の千里山ものがたり」というタイトルで、観るからにほのぼのとした作品である。僕の出版した「ロクさんのアクティブライフ」にたぶる昭和の思い出本になっている。千里案内の彼女に渡す前に、僕にも読んで欲しいと託された。


「熱飯の 隠れるほどに 蕗味噌を」

カメムシぞろぞろ

              閉じ込められたカメムシ

                 zoom会議


 暖かくなり出すと何処に潜んでいたのか、カメムシが這い出してくる。
 昨年は大量にカメムシが発生したので、積雪が多くなるだろうと覚悟していた。案の定、積雪こそ少なかったが、降雪日数が多く大阪の終雪も例年よりも遅れている。
 日本に生息するカメムシは世界で1000種以上と言われている。その内の1割ほどが確認されている。カメムシマニアもいるらしいが、害虫というイメージが強いので、見付け次第ガムテープで捕獲している。たぶん室内に侵入してくる亀虫はクサギカメムシだと判断している。稲の汁を吸うカメムシはスマートなのだが。
 カメムシが何処に隠れて越冬していたのか知らないが、暖かくなり、出てくるのは4月の繁殖期を迎えるためである。春から夏にかけて産卵して、脱皮を繰り返し1ヶ月で成虫になる。繁殖活動を終えると寿命を終えるので、カメムシの一生は1年から、長くて1年半らしい。人間目線では害虫とされているが、地球上では何らかの役割を担っている筈だ。そう考えれば命を奪うのは酷だと思いながら、ガムテープで追い回している。
 昨日は休日なのに救援会の常任委員会が箕面で開催された。バス便が少ない僕が参加できる時間帯で設定してくれた。9時半から11時過ぎまでしか参加できない。4月の野草料理打ち合わせと救援会ニュースの編集会議だから、どちらも僕がいないと進まない。今回は参加できない方のためにzoom会議形式で進められ、何とか全員の合意で4月18日に野草料理のイベントを開催することになった。カメムシに負けずにぞろぞろと動き出すことになる。


「啓蟄後 律儀にぞろぞろ 臭き虫」

片山城跡案内

            土塁、堀切、土橋などの説明

                ジョウビタキ♀


 妻が関わっている観光ボランティア仲間から、片山城跡に案内して欲しい人がいるとの依頼を受けた。お互いの友人ということで僕も露払い役で参加することにした。コロナ禍の3年余りは案内役を控えていたから、登山口が塞がっているだろうと、剪定バサミ持参で臨む。道を塞ぐ幼木などを切りながら、記憶に残る道を辿る。この里山にはシカが棲み着いている。山林まで到達すると下草も生えないぐらい食べ尽くされているので、露払いの必要も無くなり、案内を妻に任せて最後尾を歩く何時ものパターンに戻る。
 案内を依頼された方は子どもたちにラグビー指導で面倒を観ておられる。近くに住む子ども連れで参加された。初対面の1年生だったが、先日昔遊びで触れ合っているし、名前を聞くと知り合いのお孫さんだということが判明し、連れて来られた彼の方が驚いておられた。
 登山口(登城口)は標高210mで、片山城跡は330mだから比高は120mの山城である。主郭部分と土塁、堀切、郭などの面影が残っているが、詳しい資料は残っていない。この山には古墳も2個所あり、御門屋敷跡も残る歴史に満ちたエリアである。
 彼は妻の説明が気に入ったのか、次回は名月姫伝説が残る、名月峠に案内して欲しいと依頼された。好奇心旺盛な方で意気投合してしまった。子どもには退屈な歴史案内だったが、ロクさんと一緒に山に登ったとおばあちゃんに告げてくれるだろう。


「山城に 子どもの笑顔 春の風」

2日続けての三椏(ミツマタ)

             美味しかったスイートポテト

          ミツマタを観ながらのお弁当タイム

               途中での雑学披露


 図らずも2日続けてのミツマタ訪問になった。しかも同じ群生地への訪問である。もちろん昨日は自然観察が目的のサールク例会だから、参加した仲間の目線が一昨日と異なる。単なる花見感覚ではなく、花の構造をルーペで調べたり、生育環境を調べたり、人々の生業があっただろう痕跡探しにも余念がない。
 山には登らないので、能勢電妙見口駅から長い林道をひたすら目的地の「トンボ池」まで歩く。途中で炭焼き窯や台場クヌギなど歴史探索しながらのミニハイキングを楽しむ。赤とんぼさんが何時ものように手作りお菓子を持ってきてくれる。途中で我々の観察に興味を示した昆虫探しのおじさんも合流され、手作りスイートポテトをお裾分けしてあげる。当日の参加者が事前に把握できないので、赤とんぼさんはいつも20~25人分位を用意してきてくれる。だから気前よくサークル外の方にもお裾分けが出来る。
 ミツマタ以外の観察対象が少なかったので、仲閒が途中で雑学披露をしてくれる。シマウマの縞は黒か白か?と言う難問である。結論的には黒地に白が入ると言うことらしい。メラニン色素の悪戯で縞模様に進化させたとのこと。木通(アケビ)の驚くべき薬効まで紹介され、真面目なロクの顔を赤くさせてしまうほどだった。
 さてミツマタだが、ジンチョウゲ科ミツマタ属で花弁状の筒状がく片の中に、雄しべが4つ上下2段に付いている。まだ咲きはじめで花柱が花外まで飛び出していない。いずれにしても時期尚早で花柱まで観察出来なかった。他の山サークルでも訪ねる予定が入っているので、その時にしっかり観察したいと思っている。


「三椏の 雌しべまだかと 探す人」

里山歩き(青貝山391.4m)


 妻の主宰する「2木会」は、隣町から参加するメンバーが案内役を引き受けてくれた。箕面森町からスタートし、里山周回コースを経て青貝山に登るコースだった。翌日(今日)トンボのメガネで訪問するミツマタ群生地も訪ねると言うことで、図らずも僕的には下見要素の強い山歩きになった。今回は他のサークルで長らく交流のある男性も参加してくれたので、雰囲気も盛り上がり、楽しい里山歩きが出来た。ただ案内メンバーは歩きは達者だが、自然を愛でながら歩くスタイルではない。寄り道したかった処も端折られて、ひたすら目的地に向かって突き進むだけである。しかも急登コースを選ばれたので、ピーク到着も早かった。
 下見したミツマタの開花状況は5分咲きと言ったところで、少し早過ぎ感が拭えない。期待していたエドヒガンは蕾硬しで、開花前のほのかな色付きにも達していない。どうやら今年はソメイヨシノに先を越されそうである。花の気持ちは今なお掴めない。
 集合場所がトライアルというスーパーの駐車場だったので、帰りに食材探しが出来た。帆立貝が目に飛び込む。青貝山とは何の脈絡もないが「貝」という共通項で帆立貝をゲットする。妻は貝類が好物なのでオーブンで焼く。お相伴で二日続けての休肝破りになってしまった。頑張らないと半分休肝に追い着かない。でも汗をかいた後のビールは殊の外旨い。


「三椏の 花よ輝け 金色に」