ロクさんのアクティブライフのブログ

自然観察を通してのシニアの元気報告を575に託してお届けします。

自然観察を中心に、アクティブに活動している様を、
写真とコメントを交えて俳句にまとめています。
毎日発信でシニアの元気報告になっています。

黄鶺鴒(キセキレイ)

             前見て・左右見て・振り返って


 少し気温も上がる気配なので渓流沿いを歩いてみたくなった。エリアにはエドヒガンが植栽されているので、開花状況を確認してみたい。と言うのも毎年お邪魔している川西市水明台エドヒガンの森が、26日から一般公開するというので大丈夫かな? とよそ事ながら気になったからである。オープンが4月3日までと言うから時間がとれれば訪ねたいと思っている。ところが今年の異常気象だ。ソメイヨシノこそ和歌山を抜いて大阪が関西でトップの開花宣言を果たしたが、もともと野生種のエドヒガンは季節に敏感である。
 案の定、渓流沿いの桜は蕾堅しという状況で、わずかにほころびかけている1~2本が散見できた程度である。その木を我々の標準木と名付けて引き上げてきた。散歩の成果は途中で出会ったキセキレイだった。あまり飛び回らずに岩の上で恋の相手を探しているのか、四方に顔を向けていた、婚姻色鮮やかな姿を見せびらかせているようだ。
 近くではセグロセキレイもよく見かけるが、渓流まで足を伸ばすとキセキレイに出会えるのが嬉しい。さすがにハクセキレイはいない。彼らはうまく棲み分けているようだ。日本書紀にはイザナギ・イザナミがセキレイの指導で夫婦和合し「国産み」出来たと記されている話は有名である。たぶん日本固有種のセグロセキレイを注すと思うのだが。


「鶺鴒も 岩から岩へと 恋の春」

季節の変わり目

     繁茂しているキクザキリュウキンカとすくすく育つフジバカマ


 今までは三寒四温などと言って冬から春に入れ替わるパターンが予め決まっていた。暑さ寒さも彼岸までとインプットされているので耐えられたものである。ところが今年は急に夏日になったり、冬に逆戻りしたりするので季節の移ろいが読めない。
 それでも小学校は今日が学年終業式で、4月から新学年が始まる。6年生は1週間前に巣立っていった。新1年生がどれだけいるのか興味津々である。毎年ロクとの顔つなぎになっている山歩き遠足への案内も、オミクロン株が奪ってしまった。
 昨日は子ども見守り隊のメンバーに、子どもたちからお礼のお手紙を頂いた。来年もよろしくお願いします!などと言われると1年間の朝立ち苦労が一気に報われる。ちょっとした声かけが子どもたちの心に残っているようで、無駄ではなかったと思える。美しい水の星・地球と平和な日本をバトンタッチできるように、もう一肌脱ぐのもシニアに残された責務だと身が引き締まる。決して青空とひまわりの国のような戦火に巻き込ませたくない。被爆国日本も核武装をと言い出す輩をのさばらせておく訳にはいかない。今できることはウクライナへの募金と、来る参議院選挙で憲法を守る勢力への小さな一票だろう。その声が燎原の火の如く燃え広がるための発信をしたい。
 花壇や鉢植えに繁茂したキクザキリュウキンカが、しばしの太陽光を受け一面で開花している。フジバカマの新芽もたくさん顔を出してきてくれた。季節が間違いなく希望へと進んでいる。さあ今年度最後の子どもたちへの「おはよう!」を届けに出よう!


「平和への 季節変わり目 春の花」

供花を食べる犯人🔍

              何者かに囓られた供花


 お彼岸の中日を避けて京都まで墓参に訪れた。冷たい雨だったがこの機会を逃せば、もうお盆まで行かないだろう。もともと先祖を供養するなんて愁傷な気分を持ち合わせていない。年に1度ぐらいは顔を出さないと、親不孝の謗りを免れないとの強迫観念から行くだけである。と言うことで毎年欠かさずお盆に訪れていた経緯がある。
 今回は久し振りの春のお彼岸墓参である。昔は叔母などがお墓参りを楽しみにしていたので、親孝行な息子を演出するために一緒に誘い合って行ったものである。一日ずらして行ったので霊園はがら空きであった。車の一方通行も解除され駐車場もラインを気にすることなく止められる。
 雨が降っているので墓石を洗う手間が少し省かれる。ブラシでこする尻から雨が洗い流してくれる。とは言え冬に逆戻りしたので水が冷たい。供花を備え灯明と線香に火をつけ「また来るからね」と手を合わして、前日までに来られただろうお墓の供花に目を向けると、花の先が無くなっている。たぶん菊の頭花だろう。供花を食べた不届き者は誰だろうと、シャーロック・ロクは帰路の車で推理を働かせる。ヒヨドリだろうか、猿の仕業かな?閃いた犯人は鹿である。山歩きで笹などが囓られているのをよく目にする。それと同じような囓られ方をしている。お盆では観られない春のお彼岸だったからの発見。
 図書室で三遊亭好楽が出版した「今だから語りたい 昭和の落語家 楽屋話」を取り寄せてもらった。今は鬼籍に入られた懐かしい面々が登場する。同じく遠藤周作の「なつかしき人々1・2」を併せ読んだ。どちらも日本文化に貢献した方々がわんさかと登場する。まだまだ触れなければならない先人たちのなんと多いことか。


「野や山に 彼岸過ぎても 餌出ぬか」

ルート開拓👣

              履正社高校のグランド

             アセビとウグイスカグラ


 全国的に「マン防」解除前ということで、この3連休は何処とも人出が増えたようで、観光地などは賑わいを取り戻してきた。政府とマスコミはしっかりした方針を国民に示すべきだと常々思っている。今まで通りのコロナ対策を継続しながら、第7波が蔓延してきてもあたふたしないように自己管理するしかない。
 屋外の活動ならば大丈夫だろうと思い、能勢から出掛けたいのだが、3連休(休日)はバス便が殆どないので予定を組めない。まるで町民は鎖国状態に置かれているようだ。能勢の住民を “井の中の蛙” に留めておきたいというのが行政の考えだろうか?と穿った見方までしてしまう。CO₂をまき散らす車には乗りたくないのだが、仕方なく隣町まで走らせた。
 山歩き新規ルートの開拓のつもりである。何度も皆さんと歩いた能勢路につながるコースの先が、宅地開発で悪名高かった箕面森町につながっている。オオタカの営巣地を奪うなどかなり環境破壊されたが、その穴埋めとばかりに「とどろみの森」里山歩き周回コースとして整備されている。
 細かくコースが別れ、体力に合わせて歩くことが出来る。アップダウンや急登もある変化に富んだコースだが、わざわざ皆さんを案内するほどの場所ではなかった。2時間もあれば歩き回れるエリアで、鹿の住処になっているぐらい獣臭が漂っていた。樹木も不嗜好であるアセビが目立ち、まさに鹿の楽園的里山景観だった。


「里山に 春を探すが 鹿の糞」

蕗の薹(フキノトウ)

        フキノトウ・セイヨウタンポポ・タチツボスミレ


 フキノトウも終わりを迎えつつある。最後のチャンスだ!と、まだ蕗の蕾らしさを残しているものだけを選り分けて採取して帰った。最近は知人から頂くことが多くなったので、積極的に採りに行くこともなくなった。今年も2ヶ所から頂いたのを使ってフキ味噌を作った。あとは汁の実としてほろ苦さを楽しむ。花にして散らしてしまうのはもったいない!と両手に一杯ほどのフキノトウを摘んだ。やはりお薦めは天ぷらである。
 ヤブカンゾウも新芽を出してきたので酢味噌和えにしようと摘んで帰った。この新芽は土に埋もれている部分を採取しないと値打ちがない。どうしてもナイフなどが必要である。散歩途中だからその用意が無い。爪の間が土で汚れるのを我慢してできるだけ深くから摘み取る。欲には勝てない。ベッドで煙草を吸わないし、爪を噛む癖が無い♪のが救いである。
 今年も野草料理を提供する予定だが、フキノトウやヤブカンゾウは早春の山菜だから、皆さんに味わって頂けない。タラの芽やコシアブラが出る頃には、フキの花は綿毛を飛ばしている最中になる。昨日摘んだフキノトウは雄花か雌花かどっちだったのだろう。食べることに夢中で♂♀の色違いまで確認していなかった。
 カンサイタンポポに混じってセイヨウタンポポも地面から頭を持ち上げてきた。タチツボスミレらしきスミレも目に付くようになってきた。北欧のヒュッゲな生活空間を演出されているブロガーさんも、春の陽気な雰囲気を醸し出すタンポポ・スミレに心を寄せておられるのだろうなあ~と頭をよぎった。


「蕗の薹 揚げたてぞうぞ 食卓で」